母の日にお酒を飲みながら、感謝の言葉と健康への想い
本日は、母の日。
一年に一度。
今もまだ元気でいてくれている母を想いながら、お酒を飲み、思い出を振り返る。
感謝しかない。ん〜、、、考えても考えてもやはり感謝しかない。
想えば、母が一人になり、親父が反対していた東京行きを許してくれて、
親父を亡くし、大変な時期であるにもかかわらず、
自分のわがままな行動も、言動も、全てを許してくれた。
母が、自分のいろいろを許してくれたそのワケは、
「人間いつ死ぬか分からないから」
朝、普通に出て行った親父が、昼に倒れ、その日のうちに亡くなってしまった。
その時から、電話をすれば、必ずどこかのタイミングで
「健康だけには気をつけてね」と
そして、
「一度の人生だから、後悔のないようにね」と
想えば、両親はいつも子を想ってくれていた。
どんな状況の時でも。
あれは、まだ小学生の頃
何度も何度も約束して、ものすごく楽しみにしていた親父とのキャッチボール。
約束の土曜日。
親父は、基本的には土日完全休みのサラリーマン。
仕事が入ることはない。
なのに、その時に限ってなぜか何か急遽の予定が入ったらしい。
父「ごめん!必ずいつか改めてキャッチボールやるから!」
と。
そんなもの、小学生の自分には通用しない。
ずっとずっと楽しみにしていた日。
そんなものでは済まされない。
ずっとずっといじけて泣いていた。
母も慰めてくれた。
でも、そんなもので収まるはずがない。
ずっとずっと泣き続けた。
そんな中、考え抜いた母が衝撃の一言。
母「よし!お母さんがやってあげる!」
俺「、、、、、は??」
何を言っているのか理解できなかった。
俺「お母さんにできるわけないじゃん!」
母「できるよ!やろう!教えて!」
何言ってんだか。出来るワケないのに。
でもそこまでいうなら、と、仕方なく外へ出た。
案の定、めちゃめちゃ下手。
というより全然出来ない。
(やっぱり、、、)
予想通りだった。
取る方法や投げ方などを、偉そうにレクチャーした。
俺「こうやるんだよ!」と。
下手くそだから、何度も取れない玉を投げてくる。
こっちに投げてきても全く届かない。
全然キャッチボールにならない。
下手くそなのに、運動好きじゃないのに、
それでも、僕のために、好きじゃない苦手なキャッチボールを一生懸命やってくれた。
まったくキャッチボールにならない、不満なはずの時間がとても嬉しかった。
上手なのか下手なのか。
そんなこと以上に、僕のためにキャッチボールをしてくれた母。
その気持ちに、今でも感謝している。
いつか、本人にも伝えたいけど、
とりあえず、読むはずのないブログにしたためておきたいなと思った母の日。
一年に一度の母の日。
父の分まで、
いつまでも健康で幸せに笑ってくれていたら良いのになと思う。