いかにパートナーとは重要な存在か?徒然なるままに

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一人、徒然なるままに

外出しなくなり、1ヶ月が経とうとしている。
4月に入り、買い物以外の外出は、ほぼなくなった。

2020年4月は新型コロナウィルスの影響で、日本全体が自粛。

いつかは明けるだろうけども、かつてない経済活動の停滞と自粛の状況に、
今、この瞬間、この時にしか感じられないことをリアルに感じるままに、
備忘録として、想いを書いておきたいと思う。

と、いうのも、人間は忘れる生き物だから。
「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」
良くも悪くも人間は忘れていく。
これだけ大変な状況ですら、10年も経つと忘れてしまうだろう。
だから、今、この真っ最中の時に、その想いをストレートに残すことが
重要だと思う。

特に、自分以外の人への想いについて

もしも、このまま独りで余命わずかなら?

2020年4月30日現在、この新型ウィルスは、まだ得体がしれない。
どういう特徴なのか?どんな対策を打てるのか?
それがはっきりとは分からない。
何年か後に、ワクチンが開発され「そんなこともあったよね」と笑えれば良いけども。
そんな感じで今、1ヶ月自粛モードで自主的に外出禁止。
そうなると、独り家の中。誰とも会わない、話さない。

最初は新鮮で楽しい時間でもあった。
毎日が外食だった生活から一変。久々に家にゆっくり滞在。
毎晩、外で数万円を使っていたけれど、家だとどれだけ買っても一食3000円程度。
安い!好きなものがジャンルごちゃ混ぜで、スーパーで選べる。
寿司、肉、天ぷらなどなど。まさに、大人買い。
少しお酒も買ったりして、自分の時間。
1週間は満喫できた。

でも、それをすぎると、現実に戻り始める、、、
いい加減いつ終わるのか?
だんだん現実に不安の2文字がよぎり出す。

同じ場所で、毎日PCに向かい作業をしている中で、合間に窓の外を見る。
季節外れの雪が降ったりした日もあった。

今まで全く考えたこともなかったけれど、
自分独り、誰とも会話しない日々が続くと、
だんだんリアルに想像出来てくる。

余命わずかな自分。
そんなことをイメージしてみる。
日本は平和なので、これまでは想像することもなかったけれど、
こんな状況だと本気で考えられる。

「もし、ここで自分がコロナになったら、、、」
仮に自分が感染したとしても、もちろん誰にも来てはもらえない。(感染リスクがあるため)
と、なると、いずれにせよまたずっと独り。
もし仮にあまりにも重体化し、亡くなってしまうとしたら、
しばらくは、誰にも気づかれずに亡くなることになる。
自分のことが気づかれるのはだいぶ経ってからになる。

独り暮らしとは、こんな危険が伴っていたのか、、

そこで考える。

(今までの人生独り。今も独り。もし、ここで自分が亡くなったとしたら?)

もし、ここで自分が亡くなってしまうとしたら、
何かやり残したことなどはあるのだろうか?

関わってくれた人たちには多少悲しんでもらえるにせよ、
自分のことのように悲しんでくれる人は果たして何人いるのか?

と、考えると、
自分のことは、ほぼやり終えているような気もする。
やりたいことはもちろんまだまだあるけれど、
これまでにやるべきこと、やりたかったことはやれてきたかなと。

そう、考えた時、足りないものはなんだろう。
思いつく内容は、自分以外の人のことばかり。
これまで、出会ってきてくれた人達のことばかり。

なるほど。

自分の幸せとは、結局自分以外の人との関わりの中にあるんだな。
自分以外の人が喜んでくれている中に自分の幸せがあるのではないかと。

そう考えながら、頭に浮かんだ人

もちろんまずは産んでくれた両親やご先祖様。
自分の血をつないでくれた方々。
その人達が、出会ってくれなければ、当然ここに僕はいない。
ものすごく感謝の存在。
自分以上に自分のことを心配してくれる存在。

そして、パートナー。
血は繋がっていないけれど、自分のことを誰よりも理解してくれる。
そして、そんな大切なパートナーがいることで、初めて自分の親と同じ気持ちを、
「子供」という存在を授かることが出来る。
そう考えると、パートナーの存在って欠かせないんだなと気付く。

そして、友人。
数ではなく、同じようにお互いを思い合えていて、
たくさんではなくても、心が通じているような関係。

そして、仕事仲間。
日々、目標を目指し、共に頑張る仲間。

人間関係としては、日々生活していた中で、もっとたくさんいた。
取引先や馴染みの店など、いろいろな出会いがあった。

しかしながら、自分の行動にいろいろな制約が出てくる中で、
本当に大切なもの思い浮かべる人って意外と少ないんだなと感じた。

シンプルにシンプルに。

本当に必要なものだけが頭の中に残っていく。

そうすると、今、人に会えない現時点では、
高価な服も、高級な車も、幸せのためには、そこまで役に立っていない気がする。
そう考えると、自分にとって

本当に大切なものとはなんだろう。

確実に言えることは、「モノ」ではないということ。
どれだけ考えても、出てくるのは「人」
大切な人
その存在が、自分を幸せにしてくれているということ。
だから、自分もそういう存在になるべきだということ。

経済がほぼ動かず、外出が制限される中では、
衣食住の、
衣は、ほぼ必要なくなり、
食は、最低限でよくなり、
住は、あるので雨風がしのげる。感謝しかない

いままで、お金に求めていた過剰なほどの対価は、
今とてもシンプルになってきていると思う。

最低限の衣食住で暮らしていけるのだから。
欠かせない「モノ」は、もう揃っている。

そのことに気づかせてくれていると思う。
そして、これからの自分

これからの時間に、求めるもの。
それは、「人」
大切な人。大好きな人。

やっぱり、人を幸せにすることで、自分は幸せな気持ちになれる。
幸せにすることで、自分も幸せになれる。
わかっていたつもりだけど、改めて思い、考え直す。
だからこそ、自分は、人を幸せに出来る存在でなければならない。

こんな時だからこそ、一つでも二つでも自分を成長させなければならない。
幸せをもっと創り出せるように。

コロナが明けたら、より人に大切に思ってもらえるように、
そんな自分になれるように、希望を持って日々を過ごすのみ。

無駄なものを排除して、よりシンプルに

そう考えると、大切な原点に改めて気づかされているように思う。

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